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ワット・プラタート・チョーヘーは、プレー県 のプレー市にある仏舎利を祀る ” 王室寺院 ” です。


王室寺院にはいろいろありまして、王室のメンバーが建てた寺や、王室のメンバーが王室へ寄進を目的として

建てた寺、さらに一般人の建てた寺で、その後王室の認定を受けた寺のことをいい、 タイの各地にあります。





プレー県は日本人にはあまり馴染みのないところですので、地図で位置をご確認ください。



ワット・プラタート・チョーヘーの山門です。ここから寺までは結構な距離があります。





ワット・プラタート・チョーヘーの観光案内版です。





タイ語の案内板です。木造の大変手の込んだものです。





これも案内版です。最上部の文字は、古代文字だと思われます。





この寺の歴史を書いた案内版です。





境内の壁に埋め込まれていた、石版に書かれた、この寺の歴史です。





山門の階段のところにある虎の像です。この寺は寅年生まれの人が参るべき寺とされています。





虎の像の大写しです。





ワット・プラタート・チョーヘーは小高い丘の上にあります。





ワット・プラタート・チョーヘーの境内に入る山門です。





大変立派な山門がそびえています。階段の真ん中は、絨毯ではなくペンキで赤く塗られたものです。





山門に至る階段にあったタイの国旗です。タイでは方々に国旗が掲揚されています。





山門にたなびく黄色い旗は、プミポン国王陛下のシンボルです。





山門への階段から下を眺めたところです。





境内へ至る階段は、もう一つあります。先ほどの階段の左側にある階段と山門です。ナーガがいます。





階段の両側には、ナーガの胴体がずっと続きます。





階段の登り口の、向かって右側にあるあるナーガの頭部です。





階段の登り口の、向かって左側にあるあるナーガの頭部です。





手の込んだ細工が施された山門の内側ですが、ここにもナーガの姿が彫られています。





山門の外側には仏教のシンボルである法輪が描かれています。





仏教のシンボルである法輪の大写しです。





山門越しに本堂の一部が見えています。





山門の内側から撮った大写しです。沢山のナーガが彫られています。





山門をくぐって境内から眺めた山門です。左側は回廊で、右側が本堂です。床が光っています。





位置を変えて撮った山門です。左側は本堂です。





外側の回廊をナーガの胴体がある階段越しに眺めたところです。





これも回廊です。青く見えるパイプは水道管や排水管です。無粋なものですが、これもタイの姿です。





回廊の屋根の部分です。屋根から出ている飾りをチョーファーといいます。





回廊の様子です。





これも回廊の様子です。





回廊と本堂の一部を撮ったところです。床が見事に輝いています。





位置を変えて撮った回廊と本堂です。床が鏡のようです。





回廊の様子です。大きな太鼓がつる下げられています。参拝客が座る椅子が並んでいます。





その木製の椅子と、横断幕です。





参拝客はこんな風に椅子でくつろぎます。





ここには大きな銅鑼が並びます。叩くと、ゴーンと鈍い音が響きます。





仏具が並びます。王妃のお写真も見えます。





本堂の屋根です。チョーファーが美しい姿を見せています。チョーファーは寺のシンボルです。





本堂の屋根と、この寺のシンボルである仏舎利を納める仏塔と回廊の様子です。





本堂と仏塔を囲む回廊です。





回廊の軒下の飾りも手が込んだものです。





内側の回廊の内部から眺めた本堂の屋根です。左側に仏舎利を納めた仏塔があります。





内側の回廊の様子です。ずらりと並んだ黒い鉢へお賽銭を入れます。





お釈迦様のご一生に関する絵が掛けられていました。





お釈迦様のご一生の絵と、沢山の仏像も並びます。





仏像が並ぶ中に、左端には高僧の坐像もあります。





国王陛下や王妃様のお写真も掛けられていました。





左端に国王陛下のお写真が掛けられており、仏像に並んで、高僧の坐像も並びます。





回廊の様子です。こんな感じで沢山の仏像が並んでいます。





夏の暑い時に回廊の床へ寝そべっていますと、涼しくていいですよ。





仏像のお顔です。





仏像のお顔を眺めていますと、心が落ち着きます。





これが本堂です。中には幅3.8メートル、高さ4.5メートルの仏像が安置されています。





これも本堂です。ご本尊はチェンセーン様式の仏像で900年以上の歴史があるといわれています。





本堂の出入り口の様子です。





窓には雲に乗った天女が飾られています。





本堂への入り口の上部です。





さあ、本堂へ入ります。日本と同じように、履物を脱いで入ります。





本堂の外から眺めたご本尊です。どんなご本尊か胸が高鳴ります。





いよいよご本尊と対面です。





本堂の出入り口をフレームにして撮ったご本尊です。





本堂の内部です。 ”初転法輪” に関心のある方は、是非これ以下をご覧ください。

釈尊のご一生に関心のある方は、ここ をクリックしてご覧ください。



ご本尊は悟りを開かれたお釈迦様が初めて法を説いた情景を描いた絵の前に安置されていました。

悟りを開かれた釈尊は、これを人々に説いても理解されないだろうと、悟りを説くことをためらわれました。



ご本尊の後ろは、釈尊が鹿野苑で5人の比丘に初めて自分が悟った法を説いた初転法輪図です。

悟りを得た釈尊に悟りを修行者達に説くように勧めたのが梵天ですが、それを ” 梵天勧請 ” といいます。




梵天勧請と初転法輪

ゴータマ・シッダールタが悟りを得て仏陀となった後、自分が悟ったことを他の人に説いても理解され

ないだろうと考えます。その結果釈尊は悟りを語ろうとしませんでした。そこへ現れたのが当時インド

の最高神といわれていた ” 梵天 ” です。梵天は仏陀に己の悟りを説くことを勧めます。これを ” 梵

天勧請 ”
といい、梵天勧請により仏陀が初めて己の悟りを説いたのを ” 初転法輪 ” といいます。



ブッダは成道のあとも菩提樹下で座禅したままうごかず、解脱三昧にひたってい

た。 天上界の神々が色とりどりの花をまきちらして祝福した。 ブッダは7日ごと

に立ち上がってほかの樹にうつって座禅瞑想し、 さらにさとりを深めていった。



ブッダが教えを説くことを躊躇した理由


7回目の7日の瞑想のとき、天上界から梵天(ブラフマー神)がおりてきて、「さとった理法を人々に説いてください」とたのむ。し

かしブッダは最初のうち、「私のさとった甚深微妙のこの真理は、むさぼりといかりのとりこになっている世の人びとには理解で

きないだろう」と、教えを説くことを躊躇していた。それに対して梵天は、「立て、勇気ある者よ。世間に遊行して、ダルマ(法)を

説きたまえ。衆生かならずよくさとるであろう」ブッダに合掌し、二度、三度と重ねて法を説くように勧めた。ブッダはついに梵天

の熱心な勧請によって法を説く決心をする。 身体中から光を発して法を説くブッダは、瞑想の座から立ちあがり、歩き出した。

地図とあらすじで読む『ブッダの教え』高瀬広居著 P.24 2005年8月25日 青春出版社


梵天勧請により初めて教えを説いた 初転法輪 は伝説ですが、仏教徒にとっては重要なことです。



上記の説明等は、関連するページで重複記載されていますので、ご承知置きください。



ご本尊と初転法輪図が素晴らしいお荘厳の中にありました。螺鈿細工の施された棚も見事です。

釈尊が梵天の勧めで初めて修行者達に法を説かれたのはインドのサルナートで、日本では鹿野苑といいます。



ご本尊の後ろにある初転法輪図の大写しです。五人の修行者達がそれを聞いています。

五人の修行者というのは、仏陀となられた彼の父親(浄飯王)が、彼の身を案じて付けさせたバラモン達です。



バンコクのワット・マハンにあった五人の修行者に初めて法を説く初転法輪の絵です。





バンコクのワット・タスナルンサントリカムにあった初転法輪の絵です。





ワット・パイロン・ウアの初転法輪 の様子です。二頭の鹿の姿もみえます。




” 梵天勧請 ”


釈尊は自分が悟った法を、当初修行者達に説くことをためらわれました。 そこへ現れたのが梵天です。 梵天は釈尊に悟り

を修行者達に説くように勧めます。その結果、釈尊は自分と共に修行した5人の修行者に悟った法を初めて説いたのです。



釈尊がお悟りをお開きになり、梵天勧請により五人の修行者に初めて教えを説説いた時の様子です。

梵天勧請により修行者に初めて教えを説いた ”初転法輪” は伝説ではありますが仏教徒には重要なことです。



初転法輪 の様子を位置を変えて撮ったところです。これから仏教が ”世界宗教” への歩みを始めるのです。

そして釈尊の教えが東南アジアや支那・朝鮮半島そして日本へと伝わり苦悩する人々を救うことになります。



初転法輪 の釈尊のお姿のアップです。






ここからはミャンマーのバガン遺跡にあるシュエズイーグォン・パヤーの ” 初転法輪 ” の光景です



釈尊がお悟りをお開きになり、梵天勧請により五人の修行者に初めて教えを説いた時の様子です。





ミャンマーにおける梵天勧請により五人の修行者に初めて教えを説いた時の様子ですがタイと同じですね。





タイの ” 初転法輪 ” と同じ光景が伝わっていることがわかります。





梵天勧請により五人の修行者に初めて教えを説説いた時の釈尊の像のアップです。 ビルマ様式 のお顔です





梵天勧請により五人の修行者に初めて教えを説説いた時の様子の像です。





釈尊がお悟りを5人の修行者に説き、ここで6人の仏教修行者が生まれたことになります。




初転法輪等の映像や記述は関係するページで重複掲載されていますのでご承知おきください。




北伝仏教の歩み


五人の修行者は苦行を捨てた釈尊を疎んじていたのですが、 彼らは釈尊の悟りを聞いて納

得し、彼と共に同じ道を歩むのです。ここから仏教が世界宗教としての歩みが始まります。し

かしそれだけで釈迦の教えが世界に広まったのではありません。 インド・支那・日本の三国

に出でた高僧方により、仏教の解釈が深まり今日のような世界宗教の一つとなったのです。



五人の修行者とは釈尊の身の上を案じて王である父親が密かに遣わしたバラモン達です。




真の宗教(教え)とは


仏教は論理的にも確固たる世界宗教に燦然と輝く金字塔です。 私たちは幸いにして仏教国に生まれさせて

いただきました。私は無宗教ですと平然というようなことであっては犬畜生にも劣る存在です。正しい宗教で

ある仏教に目覚めなければなりません。 正しい宗教というのは、幸せになりたいという思いを、それはお前

の迷いだと教えてくださる教えが正しい宗教です。
お願いしたら、その願いか叶うというのは似非宗教です。


オウム真理教のような、とんでもない邪教に操られた若者を今後絶対に出さないためにも大切な概念です。

私たちは、真っ当な仏教に目覚め、 それを拠り所として、 己の人生を生き切っていくことが大事なのです。






真理のお言葉を味わってください。


仏道とは死を問いとして、それに応えるに足る生をたずねる道だ

金子大栄 師



今日仏教が私たちのところに届いているのも、”初転法輪” があったればこそです。

釈尊が悟られた法を聴いた5人の修行者達の喜びはいかばかりだったでしょうか。仏教徒には重要な場面です。



山を幾つも越えてプレーの地を訪れたのですが、行った甲斐がありました。



釈尊ご在世の時代には、 教えは文字化されませんでした。 ですから釈尊の教えは、弟子から弟子へと口伝によって引き

継がれていったのです。その後既にあった文字で結集
けつじゅうという、釈尊の教えを文字化する作業が数回に渡って

行われるという時を迎えるのです。 ですから今日、釈尊の教えが私たちのところまで辿り着いていることは、 まさに「初転

法輪」があり、釈尊から聞いたままをそのまま伝えた弟子たちの偉業もあったのです。 仏教徒にとっては重要なことです。


注: お釈迦様ご在世の時代には、既にジャイナ経典、ベーダ経典やマハーバーラタ等の典籍はありました。で

すから、尊い釈尊の教えて文字化して俗物としないために、文字化しなかったといった方がいいのかも知れません。


釈尊の教義というものは、明確なものではありませんでしたので、主観が入っており、原典に違いがあることは確かです。



釈尊が教えを説いたのは”対機説法”といわれる方法でです。相手の”機(個人の資質とか能力)”

に応じて法を説いたのであって、いわゆる教義に基づいて教えを説いたのではありませんでした。



上記の説明文等は、関連するページで重複していますので、ご承知置きください。 浅学菲才の身を省みず書いています。



ご本尊のアップです。





さらにアップして眺めたご本尊です。





少し斜めから眺めたご本尊です。





ご本尊の前のお荘厳の様子です。





ご本尊を斜めから少し引いて撮ったところです。





再び正面から撮ったご本尊と初転法輪図です。引っ切り無しに参拝客が訪れていました。

梵天勧請による初転法輪があったればこそ、東南アジアから日本の地まで、仏教の教えが今日あるのです。



釈尊が初めて弟子に法を説いた尊い光景と、ご本尊を再びご覧ください。



教えが口伝え(当時はまだ文字化されていませんでした)で広まり、結集「けつじゅうと読みます」(教えを暗唱していた弟子

たちが集まって、その教えを文字化した作業)が数回に渡って行われ、 ” 如是我聞 ” などで始まるお経として、 今日私達

のところまで伝わってきているのです。 結集の賜物を唐へ持ち帰えり漢文に翻訳した一人が、玄奘三蔵(三蔵法師)です。



注:三蔵とは、に通達した高僧という意味の他に、翻訳者という意味もあり、三蔵法師や鳩摩羅什らがいます。


『 スッタニパータ 』 仏教最古の世界 P.104 著者:並川孝儀 岩波書店 2008.12.18発行




アングリマーラの改心


盗賊から出家僧へ、残忍な盗賊がたどった道


盗賊・アングリマーラの出家受戒


ブッダがシラーヴァスティーの祇園精舎にとどまっていたときのこと。アングリマーラという盗賊が、人

びとを恐れさせていた。 残忍なかれは人を殺してはその指を切り、糸にとおして首飾りにしていた。



ある朝、托鉢を終えたブッダはシーラヴァスティーの城門を出て、人びとの制止にこたえることも

なく、アングリマーラの住む方向に歩いていった。アングリマーラは、一人でやってくるブッダをみ

て、 そのあとをつけていった。 ところがどんなに足をはやめても、 ブッダに追いつくことができな

い。 かれは立ちとどまって「 止まれ、沙門よ」とよびかける。 間髪を入れずにブッダは、「わたし

は止まっている。 アングリマーラよ、おまえもとまるがよいい」といった。アングリマーラは問う?




「沙門よ、あなたは歩きながら止まっているという。私は止まっているのに、なお止まれという。わたし

はその意味が聞きたい」「アングリマーラよ、わたしは止まっていて、生類に害心をはせることはない。

おまえは生けるものに対して自制することがない。 だからおまえは止まってないのだ」アングリマーラ

はただちに武器を谷間に投げ捨て、ひざまずいてブッダにひれ伏し、その場で出家受戒を許された。

地図とあらすじで読む『ブッダの教え』 高瀬広居著 P.39 2005年8月25日 青春出版社




歎異抄第十三章 第一節

弥陀の本願不思議におわしませばとて、悪をもおせれざるは、また、本番ぼこりとて、往生かなうべからずということ。



歎異抄第十三章 第二節

この条、本願をうたがう、善悪の宿業をこころえざるなり。よきこころのおこるも、 宿善のもよおすゆえなり。 悪事の

おもわせららるるも、悪業のはからうゆえなり。故聖人のおおせは、「卯毛羊毛のさきにいるちりばかりもつくるつみ

の、宿業にあらずということなしとしるべし」とそうらいしき。また、あるとき、「唯円房は、わがいうことをばしんずるか」

と、 おおせのそうらいしあいだ、「 さんぞうろう 」と、 もうしそうらいしかば、 「さらば、いわんことたがうまじきか」と、

かさねておおせのそうらいしあいだ、 つつしんで領状もうしてそうらいしかば、「 たとえばひとを千人ころしてんや、 し

からば往生は一定すべし」 と、 おおせそうらいしとき、「とおおせにてはそうらえども、一人もこの身の器量にては、こ

ろしつべしとも、おぼえずそう」 と。もうしてそうらいしかば、「さてはいかに親鸞がいうことたがうまじきとはいうぞ」と。



  「 これにてしるべし。 なにごともこころにまかせたることならば、 往生のために千人ころせといわんに、 すなわちころす

べし。しかれども、一人にてもかないぬべき業縁なきによりて、害せざるなり。わがこころのよくて、ころさずにはあらず。

また害せじともうとも、 百人千人をころすこともあるべし」 と、おおせのそうらいしは、われらが、 こころのよきをばよしと

おもい、あしきことをばあしとおもいて、願の不思議にてたすけたまうということをしらざることを、おおせそうらいしなり。


真宗聖典 真宗聖典編纂委員会 P.633 昭和53年10月30日発行


アングリマーラと釈尊の会話が、歎異抄にまで影響を与えていることは、興味深いことである。




反対側の少し斜めから撮ったものです。





ご本尊を真横から撮ったものです。柱の装飾も手が込んでいます。





天井の様子や、柱の美しさもご覧ください。





ご本尊の後ろに描かれた絵もご覧ください。





無粋な時計ですが、ここでも心を通わす糸が張られています。タイではよく見掛ける光景です。





少し斜めから引いて撮ったところです。本堂の内部の様子がわかります。





象牙や螺鈿細工の飾り棚も実に見事です。

悟りを開かれ、それを修行者達に説いた釈迦の偉業と、修行者達に法を説くことを勧めた梵天に感謝です。



螺鈿細工の飾り棚をアップでご覧下さい。



タイ北部にある、プレー県プレー市にあるワット・プラタート・チョーヘー 1 をご覧いただきました。

ここへは山を幾つも越えて行きました。通常の観光ではなかなか行くことができないところです。


今回の旅は、2553年前(平成22年より数えて)に入滅された釈尊の偉業を感じさせていただいた貴重なものでした。

釈迦誕生にはいろいろな説があって、アジアの仏教国でそれぞれ異なります。 ここではタイの仏歴を使用しています。



続けて ワット・プラタート・チョーヘー2 をご覧ください。